COLUMN

コラム「社長の給料まる見え日記」

2019/02/15

【vol.529】「ティール組織」誕生の必然とヒエラルキー の限界

「ティール組織」「ホラクラシー」新しいカタチの組織が登場しはじめている背景には、原因があります。
単なる流行りすたりではありません。

特に日本においては、下記の3つの理由で、組織のアップデートが喫緊のテーマになっていると、私は考えています。

1.「雇用を増やすことが正しい」というパラドックス

私はこれまで数千社の企業と接してきましたが、「売上を減らしたい」という会社に出会ったことはありません。
全ての会社が「事業を大きくしたい」と考えています。
まあそれは当然でしょう。世の中の役に立つビジネスならば、より多くの人に求められるようになるのは必然です。

ただ、経営者は基本的に「社員を増やして」事業を伸ばすことを前提としています。
もっと言えば、「若い人材を増やして」です。

ここが気になるポイントです。

ご存知のとおり、日本は人口が減り始めました。
特に若い人が減り、総人口が減り、そしてマーケットが小さくなっていきます。

すべての企業は、若者を採用して事業を伸ばしたい。
しかし頼みの若者が年々減っている。

すべての企業は売上を伸ばしたい。
一方でマーケットはどんどん小さくなっていく。

「自分の会社だけは、人を増やして伸ばしたい。勝ちたい!」
みなそう思っているので、人材獲得競争もマーケティングも、年々激化していきます。

たとえて言うと、どんどん速度が増す下りのエスカレーターを駆け上る感じ。
これがいま、経営者のストレスの元になっているのではないでしょうか。

もし、人を増やして会社を伸ばしたいなら、おすすめの国があります。
フィリピンです。
フィリピンは日本と同じ人口1億人ですが、年齢別の人口構成が、きれいなピラミッドを描いています。
出生率が高く、平均年齢は23.5歳(2017年)。
日本は……46歳です……!

2065年には人口が1億6500万人になると予想されているフィリピン。
まさしく“上りのエスカレーター”です。
もしも人を増やして会社を大きくしたいなら、人口とマーケットが伸びる国に行った方が勝負が楽でしょう。

人口も経済も伸びていた高度成長時代には、相性の良かったピラミッド型の組織モデル。
少子高齢化が進む日本では、それに合わせた“組織のアップデート”が必要なのです。

2.社員の時間も心も、ひとりじめできない

私が新入社員のころは、携帯電話とパソコンが支給されて大喜びしていた時代です。
ただしネットには繋がらないので、携帯は電話だけ。パソコンも書類作成だけでした。
携帯の私用は禁止でしたから、就業時間中は、プライベートはシャットアウトされていました。

いまはスマホで、LINEも、Instagramも、ゲームも、動画も、できます。
就業中でも、移動中や、トイレの中で、あるいは会議の合間に、瞬間的にアクセスできます。
つまり、プライベートをシャットダウンすることは、もはや不可能なのです。

さらに会社を出れば、自宅にいながらにして、自由に、自分の好きな世界に没頭できる。
楽しいコンテンツで日常が満たされている中で
「仕事だからがんばるのが当然」
「目標達成のためには、個性もプライベートも仕事に持ち込むな」
などという固定観念を押し付けても、聞く耳を持つわけがありません。

「会社」や「仕事」という“コンテンツ”の根本的な競争力が問われているのです。

3.女性と相性が悪い

軍隊での女性の割合はとても低いです(日本では自衛官のうち6%※)。
ただ、軍隊の場合は“女性活用が進んでいない”というよりは、“男性と女性の役割の違いだから”という理由で、納得しやすいと思います。

一方で、企業の組織の“カタチ”は、軍隊のそれがベースになっています。
生死がかかった状況で勝利を得るための「指示命令系統の徹底」「上意下達」が特徴です。

企業では戦場ほど切迫した状況ではありません。
ただ、「勝利」「強さ」「成功」を目指す、という点では変わりません。
より強い者が出世することができ、勝利を目指して戦い続ける。

この「成功」や「強さ」が前提になっている組織の構造は、男性に適したものであり、女性の価値観とは合いづらいのです。
女性活用が進まない原因は、組織のカタチそのものにあると、私は考えています。

まとめ

人の価値観も、ビジネスモデルも、働き方もどんどん変化しているのに、組織のカタチは昔と変わらぬ階層構造のヒエラルキー型。

ヒエラルキー型が間違っているというわけではありません。
ただ、それが“シェア100%”というのは違和感がありませんか?
自社の業態やビジネスモデルに、本当に合っているのか?という検証をする。
必要に応じて、アップデートや他のカタチを模索する、という視点は必要ではないでしょうか?