先週末に、宮城県石巻市にボランティアに行ってきました。
恥ずかしながら、震災後初めての参加です。
たった一日の作業でしたが、そこで見聞きしたり、僕なりに感じた事がありました。
今回はとても個人的な内容になりますが、自分のふりかえりという意味でまとめてみたいと思い、ここで書かせてもらいます。
■ なの花交通のバスツアーで参加。
東京駅を金曜夜に出発。土曜日にボランティアをし、夜に現地を出て、日曜朝着。バス車中2泊です。今回は35名程が参加。2組のカップル以外は、単身での参加の様子。ボランティア初参加は、僕を入れて数名でした。
http://nanohanabus.com/bora_shihatsu.html
■ 活動内容は事前には分からず、バスの中で知らされました。
今回は「行方不明者の捜索」。ある小学校の遺族会からの依頼とのこと。ボランティア=がれき撤去、くらいにしかイメージしていなかったので、予想外の内容に文字通り、言葉を失いました。
■ 活動場所は、水田だったところです。
見渡す限りの水田が、津波で運ばれた土砂で覆われていて更地のようになっています。震災後、ずっと手つかずだった場所で、ここ数ヶ月でようやくがれきを撤去し終えたばかり、というお話でした。土砂は50~60センチ積もっています。今回は上部30センチ程度掘り返して、骨がないかどうかを探すという作業でした。
■ 少し離れた場所で、土砂を掘り返しているショベルカーがいました。
聞くと、今回依頼された遺族会の方だそうです。自分たちで重機の免許を取り、お金を出し合って重機を借りて、交代で作業しているとのこと。その小学校では、4名の児童の行方がいまだに分かっていません。
■ 約40人で作業できたのは、50m×50m位。
これから来年3月まで、見渡す限りの水田跡を掘り返し捜索した後、土砂を撤去して、水田として復旧させていくとのことです。掘り返し作業のあと、皆で目視しながら歩き回りました。骨はたくさん見つかりましたが、「99%は鳥の骨」だそうです。僕も10数本見つけましたが、明らかに鳥のものでした。そうだと分かっていても、見つけるたびに息が詰まりそうになりました…。
■ バスで隣り合った男性は、10月中旬にも来られたそうで、そのときは小学校の裏手の捜索を手伝ったと言っていました。既に整地され、道路になっている部分を掘り返すという作業。
地元のボランティア団体が段取りをするのですが、自治体、小学校、遺族会、近隣の方の間での調整が簡単ではないそうです。
たとえば、遺体が見つかっていない遺族は、いつまでも探したい。一方で、遺体が見つかった遺族は、一旦区切りがついている。そして、無事だった同級生もいます。
同じ小学校に通っていた家族間でも、1年半が経過して、状況や心境が大きく変わってきているのです。そして、自治体は復興に向けて道路を整備したい。掘り返すとなると、交通網に支障が出るため、簡単に了承できない。
僕がもし、自分の子どもが見つかっていなかったら?
自治体長の立場だったら?
何もかも無事だったとしたら?
各々の立場で想像しようとすると、頭も心もこんがらがってしまいました。
同じ地域に隣り合って住んでいる人たちの状況が、あまりにも複雑に多様化しているということを、目の当たりにしました。
僕にとって、震災は、正直言って過去のことになりつつありました。
九州にいると、被災地に知り合いがいる人も少ないし、日常話題にのぼることがほとんどありません。ニュースを通して知る世界、になっていました。
それに「今頃行っても、出来ることは大してないのでは…?」という位に思っていました。
しかし現実には、過去の話どころか、“復興が始まってすらいない” 場所がたくさんありました。
“震災が終っていない” 方もたくさんいらっしゃる、ということを思い知りました。
正直いって、ショックでした。たった一日だったのに、こんなに衝撃を受けるとは予想さえしていませんでした。 今まで関心が薄かったし、勉強不足だった分、余計に、目の当たりにしたことを受け止められていないのかなと思います。
今も頭の中が整理ができていないし、こんな自分が何かを語れる立場でもないし…とも思っています。 ただ、アウトプットすること自体が、自分にとって大事。そう思って、なんとか吐き出してみた…というのが、正直な気持ちです。