先週末に、福島県南相馬市にボランティアに行ってきました。
今回は、福岡在住の先輩方と共に参加です。
■ JTBのバスツアーを利用。
3連休中の行程ですが、参加者はほぼ満員の39名。半数以上が女性でした。
■ 場所は、福島県南相馬市小高区。
放射能汚染に加えて、津波の被害にも遭った地域です。
作業をした場所は、福島第一原発から10.5キロの位置。(10キロ以内は現在も立ち入り禁止)
小高地区は、今年4月にようやく「警戒区域」指定を解除されたものの、作業地域は、「避難指示解除準備区域」に指定され、宿泊は厳しく制限されています。つまり、夜間は立ち退かなくてはならず、人は住んでいません。
小高地区ではライフラインの復旧もまだまだで、ボランティアセンターでさえ、今年の11月にやっと水道が飲める状態になったそうです。
周辺は、人気がなく、ひっくり返っている車や、壊れた家屋がそのままになっていて、時間が停まっているような印象を受けました。
■ 朝、ボランティアセンターで、作業の分担会議が行なわれます。
この日は東京電力のチームが、70名いました。東京から来た「東京組」と、現地在住の「現地組」とがいるようです。継続的にボランティア活動を続けているそうです。
■ 活動場所に到着すると、「地震が起きたら、こういう経路でこの場所に避難して下さい」と、念入りに説明されました。少し前に大きな地震があったこともあり、こちらも必死に頭に叩き込みます。
■ 今回の活動内容は、「側溝泥だし」です。
津波の土砂で埋まった側溝を掘り出すという仕事。側溝がないと、雨水や生活廃水がうまく排水できず、道路が水浸しになったり汚れたりするそうです。 体力的にはハードで、単純作業なのですが、目に見えて溝が出来るため、達成感があります。
しかし、手つかずの家屋や田畑、無人の荒れ地を目の前にして・・・。今後、住民が再び住める日が来るのかわからないし、復興の兆しも見えない中、側溝を掘ることしかできないことに、複雑な思いでした。
■ 放射能の状況については、詳しい情報はわかりませんでした。
ボランティアセンターで計測した上で活動場所を決めている、ということでしたので、それを信用し、お任せにしていました。現場でも、線量に関する説明は特にありませんでした。現地で、マスクをしている人は少数です。マスク着用も薦められませんでした。
眼前の荒れた光景は、津波の被害によるものです。
さらに、目に見えない放射能の被害が、一帯を覆っている。
埋まった溝は掘ればいいし、転がった車は片付ければいい。しかし、放射能は、線量や体への影響度合いがどれほどなのか分かりません。そして放射線量減少の過程も、目に見えない。恐怖が心に澱のように溜まって、消えないのです。
放射能の被害が、見えないが故に、人の精神状態にとてつもなく重い影響をもたらすということは、行ってみて初めてわかったことでした。
復興のプロセスが全然描けていない中で、小高地区に住んでいた方たちは、どう生活をし、どんな心境でいるのか?
自分が地元の人の立場だったら、どういう選択をするのだろうか?
復興が今後実現できたとして、この土地でできたお米を、自分は食べる事が出来るのか?
問題が重くて、複雑で、今でも頭が整理できないでいます・・・。
※写真を掲載しています。
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